今だからこそ明かす「見沼レイクサイドストーリーPart1」

10年以上前、先日のマヤ歴ツアーの舞台となった

氷川三社とその神池である見沼では、

今でこそ明かせる、多くの〈エピソード〉がありました。

先日、マヤ歴創始の日である7月26日に

開催した氷川三社ツアーは

このブログを始める以前に起こった

数々の出来事を思い出すツアーとなりました。

今回はツアーの様子と、そんなエピソードを織り交ぜながら

氷川女體神社編、中山神社編と2回にわけて

お話をしていきたいと思います。

氷川神社とともに武蔵国一の宮である

氷川女體神社の鳥居には、

以前、社号額がありませんでした。

当時、近くを通りかかったので参拝してみると

年末も近いこともあり、氏子関係者の方が

境内に集まっていました。

社号額奉納の件は、以前別の知人が申し入れた時は

ご辞退されていたのですが

ダメ元で今一度話をさせていただきますと、

な、な、何とOKが出ました!

ところが、さすがに一の宮の鳥居ともなると巨大なため、

額の製作費も高額(数10万円)となります。

師匠の講座で、浄財を募ったところ

師匠をはじめ多くの方々が協賛して下さり、

その場であっという間に目標額が集まりました。

無事、奉納できた暁に

協賛者の方への報告書に

こんなことを書いた覚えがあります。

江戸時代、武蔵国一の宮三社では、

神池である見沼を干拓するという

幕府による許されない

自然環境破壊がおこりました。

歴史は繰り返すと言いますが

現在、氷川三社では、

聖地である「四本竹」跡地の埋め立て工事や

中山神社の鎮守の森を伐採し、境内を通過する県道計画など

問題が山積みです。

今度こそ、心ある有志が現れ、

二度と同じ過ちが繰り返されないことを祈るばかりです。

さてその後、氷川女體神社の宮司さまと懇親を深めた私は

ご本殿裏の鎮守の森にある

10数社のお社へのしめ縄奉納のご許可をいただきました。

初詣ばかり、リキを入れるのではなく

1年の武蔵国守護の感謝の御礼も兼ねてしめ縄を新調しましょう!

という趣旨のツアーは、

毎年当社の年末の人気恒例行事となりました。

特に、磐船祭祀跡のご神木での

シデを折って、しめ縄をセットし

お神酒をさしあげる奉納体験は

夏(マヤ歴ツアー)と年末ツアーのメインイベントです。

新しいしめ縄に変えて、お神酒を差し上げると

場が変わるのがよくわかり

今回も、初めて体験する方たちで盛り上がりました。

ちなみに神社ではよく御神酒(おみき)を奉納しますが、

本来は、嬉し“き”、楽し“き”、おもしろ“き”

という3つのき(心)を奉納することが

神仏が一番喜ぶことなのです。

つまり、人間が行動して結果を出した

その感謝を奉納するわけです。

◎決意・行動〜結果⇒感謝

✕奉納〜結果を待つ⇒依存

で、神さまに心意気をお見せすることが

喜んでいただく一番のコツなのです。

神仏とのおつきあいは親子の関係を

当てはめれば、よくわかります。

親はグダグダ言っている子どもより、根性出して、

さっさと結果を出してくれる子どもの方が

嬉しいものです!

さて、ご本殿裏の摂社・末社では

しめ縄をご奉納した後に、

新潟の筥堅八幡宮に伝わる『全国一の宮祝詞』を模して

文献に残る20社以上のお社のお名前を1社ずつ

読み上げます。

現在そのほとんどが、お名前も分らぬお社ですので

神さまからは大好評です!

また、その中でも特に大きなお社の屋根を

修理したこともあります。

どうやらこちらは神明社

天照大御神さまとアラハバキノ大神威さまが

いらっしゃるとても重要なお社だということが

後でわかりました。

その後、偶然出会った

『みむろ物語 井上香都羅著(さきたま出版会)』という本では

境内のすぐ隣にあった神宮寺や

重要な奥宮の存在も明らかになりました。

廃仏毀釈の時、村民によって守り抜かれた

ご本尊である文殊菩薩さまが、

近隣の文殊寺にお祀りされていることを発見し、

そちらも当社ツアーのレギュラーコースとなりました。

当初、文殊菩薩さまからは、

見沼に埋没している仲間を救ってほしい!

と頼まれました。

今回はそんなこともあって、ツアー前日、

遠隔のご神事を1時間以上かけて行い、

見沼に埋没しているご存在(仏尊さま、龍神さま)を

たくさんお還しすることができました!

また奥宮とされる小室神社は、

文殊寺の近くの住宅地の中にあります。

この周辺では「馬場小室山遺跡」として

1969年から30回以上の学術調査の結果

大量の縄文の遺物が出土しました。

縄文文化正倉院」、「祭祀スタジアム」とも呼ばれ、

全国の縄文遺跡発掘調査の最先端にありましたが、

開発という名のもとにその後の調査が満足に行われないまま

2003年、宅地造成されてしまいました。

(当時、開発反対の署名は5,000人以上集まったそうです)

出土品には祭祀に使う、

土版・土偶・土製耳飾・独鈷石・石棒・石剣の他に

「遮光器土偶」などもあったといいます。

その遺跡としての重要さは、

国史跡候補遺跡とさえ言われており、

聖なる祭祀儀礼の場でしたが、

開発当時は、出土品が見沼田んぼのあちこちに

無造作に捨てられていたそうです。

2600年以上、手つかずであった〈聖なる地〉が

一瞬でこの世から消えた瞬間です。

私が最初に小室神社に参拝した時は

鳥居にクモの巣が張っていて

長期間参拝者がいないことを物語っていました。

お社の中もからっぽで見る影もありません。

当時、お社を管理をされている方に

奉納を願い出たのですが、現在は

一族の“屋敷神”として祭っていることを理由に

ご辞退されたのです。

私の中では、ここ小室神社と

先日の「奥多摩ツアー」で訪れた

大嶽神社が、“国家レベルでご開運を要す”

重要聖地だと思っています。

そんな中、一番の最重要案件であった四本竹の

正確な位置がわかったという一大事が起きました。

(というより、“起こしました”が正解です)

それは、偶然にも長女の絵の展示会での出来事でした。

長女の絵は浦和の埼玉会館で催された展示会に

優秀作品として出品され、

そこでの休憩時間のことです。

私は偶然、隣接した図書館の一番奥にある

歴史資料室へと迷い込んでしまったのです。

(今思うとまるで映画のようです・笑)

そこには何と、見沼に関する資料がありました。

私は、以前から謎だった

四本竹の正式な場所に関する資料はないかと

片っ端から探しまくると、

『四本竹発掘資料』なるものを発見したのです。

そこには何と、宮司さまに訊いたり

資料を調べても正式な場所がわからなかった

四本竹の場所を示す航空写真が載っていたのです。

四本竹のある場所は現在、

芝川の大雨での水位上昇に備える調整池工事が行われており

その工事前に発掘調査が行われたようなのです。

私は、子ども達ふたりを車に乗せ、

コピーした地図を頼りに四本竹を目指しました。

ところが、行けども行けども、

四本竹周辺は、調整池工事のせいで

ゲートが閉まり、近づくことが出来ません。

かれこれ1時間以上、アプローチを繰り返したあげく

天を仰ぎ(笑)、神仏にも祈願しました。

私は必ず四本竹の場所を見つけ、

世に出します!

そろそろ陽も暮れだし、あきらめかけていた時

ふと入り込んだ路地にある工場の男性に尋ねると、

この先に池があるから行ってごらん!

と教えてくださいました。

車を停め、土手を駆け上がるとそこには!

素晴らしい緑地を湛えた水面(みなも)が広がっていたのです!!

確かにここが、あの航空写真で観た

四本竹の場所でした。

それ以来、夏のマヤ歴ツアー、年末の感謝ツアーと、

かれこれ20回以上におよぶ

〈氷川三社ツアー〉のランドマークとなった四本竹とのご縁は、

こうして偶然にも子どもの絵が取り持ったのでした。

現在、氷川女體神社境内に、

「四本竹の遥拝所を造る構想」が私の中では動き始めています。

名付けて

フォースバンブー・プロジェクト!!!

(あれ!あんまりカッコよくないなぁ?

 ネーミング募集中です!)

さて次はいよいよ

見沼レイクサイド・ストーリーPart2です。

本来、この世から消滅する運命だった御神池を

守った宮司さまと

フクシマ・フィフティーズならぬ、「ナカヤマ・ファイブ」の

壮絶な奮闘記にご期待ください!